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東京地方裁判所 昭和41年(ワ)6542号 判決

原告 竹下源太郎

右訴訟代理人弁護士 信部高雄

同 小林健男

被告 国

右代表者法務大臣 小林武治

右指定代理人 森脇郁美

〈ほか一名〉

主文

被告は、原告に対し、金一、〇〇二、〇〇〇円およびこれに対する昭和四一年八月四日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一、当事者の申立

1、原告

主文同旨の判決および仮執行の宣言を求める。

2  被告

「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」

との判決および担保を条件とする仮執行免脱の宣言を求める。

第二、当事者の主張

1、原告の請求の原因

一、原告は、訴外堀内要七から、昭和三九年一月一〇日、ガスライター二、三〇個を一個六〇〇円で、同月二五日ガスライター一、九九九個を一個五〇〇円で、いずれも即金で買受け、同時にその引渡を受け、民法一九二条によりその所有権を取得した。

二、原告は、警視庁板橋警察署において、同月二五日、訴外堀内要七に対する窃盗被疑事件の証拠品として、右の後から買い受けたガスライター一、九九九個を押収され、また同年二月一日ごろ、訴外大塚喜造に対する窃盗被疑事件の証拠品として右二、三〇個のガスライターの残り五個を押収された。

さらに、原告は、同月四日右各ガスライターについての賍物故買の嫌疑によって逮捕された。

三、同月一四日、右ガスライター二、〇〇四個は、板橋警察署から訴外ゼンザブロニカ工業株式会社(以下「訴外会社ブロニカ」という。)に仮還付された。

四、原告および訴外堀内、同大塚に対する右各被疑事件は、豊島区検察庁に送致され、同庁副検事高柳吉二がその取調に当ったが、同月三〇日、同副検事は、訴外堀内、同大塚に対する右各ガスライターの窃盗被疑事件については「犯罪の嫌疑なし」、原告に対する賍物故買事件については「罪とならず」との理由でいずれも不起訴処分とし、右ガスライター二、〇〇四個については訴外会社ブロニカを被害者とし、これに対し、仮還付のまま本還付する旨の処分をした。

五、原告は、昭和四〇年五月、豊島簡易裁判所に対し、右ガスライターは原告に還付すべきものである旨、右本還付処分について準抗告の申立(同年(る)第三号)をしたところ、同裁判所は、同年七月二日同申立を認容し、右本還付処分を取り消す旨の決定をし、同決定はそのころ確定した。

そこで、原告は、豊島区検察庁に対し、本件ガスライター二、〇〇四個の還付を求めたが、右ガスライターは訴外会社ブロニカにおいて、すでに昭和三九年九月二二日から同年一〇月一〇日までの間に解体、廃棄していたため、原告はその還付を受けられなかった。

六、そのため、原告は本件ガスライター二、〇〇四個の所有権を回復することが不可能となり、その結果、少くともその取得価格の範囲内である一、〇〇二、〇〇〇円(一個五〇〇円)相当の損害を受けた。

七、右損害は、公権力の行使にあたる検察官高柳吉二の職務を行なうについて次のような過失に基づくものである。

(一) すなわち、刑事訴訟法二二二条一項、一二四条一項によると、検察官は押収物については、それが賍物であり、「被害者に還付すべき理由が明らかなとき」に限って被害者に還付できるのであるが、本件において、副検事高柳吉二は、窃盗の本犯の嫌疑を受けた訴外堀内、同大塚について、いずれも「嫌疑なし」の理由による不起訴処分をし、原告の賍物故買被疑事件についても「罪とならず」の理由による不起訴処分としたのであり、証拠上、本件ガスライター二、〇〇四個が原告の所有に属することを容易に知ることができたのであるから、これを訴外会社ブロニカに還付すべきでなく、正当な所有者であり、被押収者である原告にこれを還付すべき職務上の注意義務があるのにこれを怠り漫然と右訴外会社を被害者としてこれに仮還付したまま還付したため、原告に右損害を蒙らせたものである。

(二) かりに、訴外会社ブロニカに対する還付処分がいまだなされていないとしても、終局裁判の場合について、「仮に還付した物について、別段の言渡がないときは、還付の言渡があったものとする。」と規定する刑事訴訟法三四七条三項は、不起訴処分にも準用されるから、本件ガスライターを右訴外会社に仮還付したまま不起訴処分をすれば、右ガスライターは同会社に還付されることになる。したがって、検察官高柳吉二としては、不起訴処分を行なうに際しては、正当な権利者である原告を害しないように、訴外会社ブロニカに右ガスライターを仮還付したまま放置することなく、同会社にこれを提出させて原告に還付するよう適切な措置を講ずべき職務上の注意義務があるのにこれを怠った過失がある。」

(三) かりにそうでないとしても、検察官高柳吉二には次のような過失がある。すなわち、同副検事は、訴外堀内、同大塚の窃盗被疑事件につき不起訴処分をした際、各不起訴裁定書の証拠品欄に、本件ガスライターについて「仮還付のまま本還付」の記載をしたので、豊島区検察庁証拠品係検察事務官は、昭和三九年四月三日証拠品事務規程五九条三項に基づき、受還付者に本還付の通知を行なう事務的手続の準備として、右ガスライター五個分の仮還付請書に還付通知の年月日および通知した旨を記載した。ところが、同年五月一二日甲府地方検察庁から豊島区検察庁に対し、右被疑事件の記録借用方の依頼があったので、同区検察庁は、同月一四日に右記録を甲府地方検察庁に送付した。その際同記録中の不起訴裁定書の証拠品欄および右仮還付請書の各記載は抹消されず、そのままとなっていたので同年八月ごろ、訴外会社ブロニカの社員横溝弘明が、同地方検察庁検事山同譲次に対し、本件ガスライター二、〇〇四個が同会社に本還付になっているか否かを確かめた際、同検事は、右記録上の各記載をみて本還付になっているから廃棄してもよい旨回答した。そのうえ、同じころ、同様の照会をした板橋警察署においても、同趣旨の回答をしたため、訴外会社ブロニカはこれらの回答を信じ、本件ガスライターを解体、廃棄したのである。

不起訴裁定書証拠品欄に「仮還付のまま本還付」との記載があり、これに基づいて仮還付請書に前記のような記載がなされていれば、右不起訴記録をみる者をしてあたかも訴外会社ブロニカが本件ガスライター二、〇〇四個の正当な権利者であり、かつすでにこれに本還付済みであると誤信させ、その結果真の所有者である原告に損害を与えることになるかもしれないことが十分予想されるところであるから、右副検事としては、不起訴裁定書証拠品欄の記載およびその後の記録の取扱いにあたっては、十分慎重を期すべき職務上の注意義務があるにもかかわらずこれを怠り、同欄に誤まって正当な権利者でない訴外会社ブロニカに本還付すべき旨を記載し、これを放置した過失があり、そのため訴外会社が本件ガスライターを解体、廃棄し、これによって原告は損害を蒙ったのである。

八、よって、原告は、被告国に対し、右損害一、〇〇二、〇〇〇円およびこれに対する損害発生の日の後である昭和四一年八月四日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める。

2、請求原因に対する被告の答弁

一、請求原因第一項の事実は否認する。

二、同第二、三項の事実は認める。

三、同第四項の事実中、本件ガスライターについて訴外会社ブロニカに対し仮還付のまま本還付したとの点は否認し、その余は認める。

およそ、仮還付した証拠品をそのまま本還付する場合には、証拠品事務規程五九条二、三項により、仮還付人に本還付の通知をし、その年月日および通知した旨を事件記録の仮還付請書に記載すべきこととなっており、本件の場合、副検事高柳吉二は、訴外堀内要七、同大塚喜造に対する窃盗被疑事件の不起訴処分に際し、不起訴裁定書証拠品欄に本件ガスライターにつき各「仮還付のまま本還付」と記録し、指揮印を押捺しており、これに基づき豊島区検察庁証拠品係検察事務官が、ガスライター五個分の仮還付請書については内部的手続の準備として還付通知の年月日および通知をした旨を予定の趣旨で記載しているが、訴外会社ブロニカに対する還付の通知はいまだなされていなかった。そして、元来、本件ガスライター二、〇〇四個は、訴外会社ブロニカの許諾なしに同社所有の不良部品を主として用いて組み立てられたものであり、「ブロニカ」の登録商標を付していて、商標法違反の組成物件として商標権者である同会社から廃棄を求められるべき筋合のものであり、当時原告に対する同法違反被疑事件の捜査も行なわれていたので、検察官としても本還付の通知をしないでいたが、その後本件ガスライター処分についてさらに検討した結果、訴外会社ブロニカが商標法上の権利を行使するか否かは同社が判断すべきものであり、右ガスライターは一応被押収者たる原告に還付するのが妥当であるとの結論に達したので、昭和四〇年三月二四日、副検事高柳吉二から訴外会社に対し仮還付中の本件ガスライターの提出を命じたところ、すでに同社において解体、廃棄済みであることが判明したのである。

四、同第五項の事実は認める。

五、同第六項の事実は否認する。

六、同第七項の(一)の主張は争う。

七、同(二)の主張は争う。

刑事訴訟法三四七条三項が検察官の不起訴処分にも準用されるとの原告の主張は失当である。検察官がその事件につき不起訴処分をした場合にも、必ずしも当然に押収物についての留置の必要性が消滅するものではないから、不起訴の際の留置の必要性の判断は検察官の裁量に委ねられているものというべく、終局裁判の際の押収物の処置と同列に論ずることはできない。このことは、検察官の押収物処分について刑事訴訟法二二二条一項が同法一二三条、一二四条のみを準用し、同法三四六条、三四七条を準用していないことからも明らかである。

八、同(三)の事実中、不起訴裁定書および仮還付請書に原告主張のとおりの記載がなされたこと、原告主張のとおり、甲府地方検察庁に記録が送付されたこと、その際原告主張のとおり右記載が記録中に抹消されずに存したことは認めるが、その余は否認する。

3、被告の抗弁

一、原告が、訴外堀内要七から本件ガスライター二、〇〇四個を買い受けた取引については民法一九二条の適用がない。

訴外会社ブロニカは、カメラ、ガスライター等の製造販売を業としているが、昭和三七年三月から訴外株式会社朝日製作所(以下「朝日製作所」という。)にブロニカ・ガスライターの製作を下請けさせ、同会社に全材料を提供して指定日までに製作納入させることとし、製品はその引渡前においてもその所有権は訴外会社ブロニカに帰属する旨の特約を結び、提供した材料、部品に不良品があったときは必ずこれを訴外会社ブロニカに返品させる旨約していた。ところが、本件ガスライターは、訴外会社ブロニカが朝日製作所に支給した右材料部品約八〇点を用いて組立製作されたものであり、表側のガスネジおよび化粧プレートのみが別に付加されたにすぎないものであって、訴外会社ブロニカの所有に属するものである。

訴外会社ブロニカは、ライター業界では著名のメーカーであり、その製品は筋の通った問屋を通じて系統的に売りさばかれる実情にあったことは、ライターを取り扱う商人なら何人も知悉していたところである。原告は雑貨卸商を営む一ブローカーにすぎず、このような原告に対して訴外会社ブロニカがその製品をおろすはずがないし、また訴外堀内要七は朝日製作所の社員であるが、下請会社の一社員にすぎないものが訴外会社ブロニカの製品の処分権限を有することは通常考えられないところであるのみならず、右堀内は、市場卸売価格一個約一、五〇〇円の本件ガスライターをその約三分の一の一個五〇〇円ないし六〇〇円の安値で大量に売込みにきたのであるから、原告は右取引に際し、それが訴外会社ブロニカの意思に基づかない、不正なものであることを当然知りえたはずである。しかも、原告は、右ライターについて予め転売先を探しておいて、これを買い受けるつど、直ちにいわゆるバッタ屋に安値で現金売りをし、あるいはしようとして発見されたのであって、このような状況からみれば、原告が本件ガスライターを堀内要七から買い受けた取引は、隠密裡に行なわれたものであり、原告は堀内がその処分権限を有しないことを知っていたことが明らかである。かりに、原告が、右堀内の処分権限のないことを知らなかったとしても、右の事情のもとでは、原告としては、その点について疑問を抱くのが当然であり、取引に先だって訴外会社ブロニカに容易に確認することができたのであるから、少なくとも、その点で過失がある。したがって、右取引は、民法一九二条にいう公然、善意および無過失の場合に当らない。

二、かりに、本件ガスライターが、原告の所有であるとしても、前記のとおり右ライターは、訴外会社ブロニカの商標権を侵害する行為の組成物件であり、商標権者である同会社からその廃棄を請求されるべきものであるから、原告は、右会社の処分行為によって何ら損害を蒙っていない。

3、抗弁に対する原告の答弁

一、抗弁第一項事実中、訴外会社ブロニカが、カメラガスライター等の製造販売を業としている点は認め、その余は否認する。

二、同第二項事実は否認する。

第三、証拠≪省略≫

理由

一、請求原因第二、三項および第四項(ただし、本還付処分の点を除く。)ならびに第五項の事実は当事者間に争いがない。

二、そこで、本件ガスライター二、〇〇四個の所有関係について検討する。

(一)  ≪証拠省略≫を総合すると、(1)訴外ブロニカ化学工業株式会社(以下「ブロニカ化学」という。)はその製造販売するブロニカガスライターの組立加工について、昭和三七年三月二八日、朝日製作所にこれを下請けさせる契約を結んだが、本契約は、ブロニカ化学が朝日製作所に対し、製作に必要な仕様書、図面、機械を貸与し、原材料、部品等を支給し、検審の結果合格した製品について工賃を支払うというものであり、また、原材料、部品、半製品および製品の所有権は、引渡前でも、ブロニカ化学に属し、提供した材料、部品に不良品があった場合は、必ずこれをブロニカ化学に返品するという内容のものであったこと、(2)ブロニカ化学は、同年九月、ブロニカカメラ株式会社と合併し、ゼンザブロニカ工業株式会社とその商号を変更したこと、(3)昭和三八年夏ごろから、朝日製作所の代表取締役大塚富栄の実弟である訴外大塚喜造の経営する訴外富士産業株式会社では、訴外会社ブロニカから朝日製作所に支給されたブロニカガスライターの部品、原材料のうち、訴外会社ブロニカと朝日製作所の間で行なう棚おろしの際、棚おろし表に記載もれとなったものを用い訴外会社ブロニカには無断でガスライター約一〇、〇〇〇個を組立、製作し、これを堀内らが各方面に売りさばいたが、本件ガスライター二、〇〇四個はその一部であること、(4)右ライターは、ガスネジと外装の化粧プレートのみが異るほかはすべて訴外会社ブロニカの支給したものを用いて製作されており、同会社の通常実施権を有する登録商標および意匠を用いたものであり、その製作にあたっては朝日工業所の従業員も協力したこと、(5)原告は当時、電気、繊維製品の金融流れ品の売買業を営んでいたが、昭和三九年一月一〇日ごろ、かねて知合いの間柄であった訴外堀内要七から、朝日製作所の経営状態が悪化していることを理由にガスライターを現金で買ってほしい旨の申入れを受け、一個六〇〇円で同日二四個、その数日後三〇〇個を買い受け、さらに一個五〇〇円で同月二〇日ごろ一、〇〇〇個、同月二五日ごろ二、〇〇〇個を買い受け、いずれもそのつど即金で支払い、直ちにその引渡しを受けたこと、(6)原告は、右三〇〇個は買い受けた二、三日後に一個七〇〇円ないし七五〇円で転売し、右一、〇〇〇個は予め転売先をみつけたうえで買い受け、直ちに一個七〇〇円でこれを転売し、二、〇〇〇個も同様の転売先に売る予定であったこと、(7)原告が押収されたガスライター二、〇〇四個は、右二四個中の五個および同二、〇〇〇個中の一、九九九個であることが認められ、認定に反する証拠はない。

(二)  したがって、元来本件ガスライターはいずれも訴外会社ブロニカの所有に属するものであり、堀内要七はその処分権限を有しなかったというべきであるが、被告は、原告が堀内から本件ガスライターを買い受けた右取引は、公然性に欠け、堀内が処分権限を有しないことについて原告は悪意であるか、少くとも過失があったと主張するので、次にこの点について判断する。

≪証拠省略≫によると、訴外会社ブロニカは、ガスライターメーカーとしては著名であり、原告も訴外堀内との本件取引当時このことを認識していたことはうかがえるが、本件ガスライターが訴外会社ブロニカの所有であり、堀内にその処分権限のないことを知っていたと認うるに足りる証拠はなく、かえって、≪証拠省略≫によると、原告との取引の際、訴外堀内は、朝日製作所は、訴外会社ブロニカの下請会社であるところから、製作の際でる不良部品を訴外会社ブロニカから貰い受けており、訴外富士産業株式会社においてこれに部品を付加して、完全なガスライターとして組み立てている旨原告に説明し、原告は、朝日製作所の代表者大塚富栄と訴外富士産業株式会社の代表者大塚喜造が兄弟であることを知ってもいたのでこの説明を信用し、朝日製作所の経営状態が悪化しているので現金で買ってほしい旨の堀内の頼みに応じて買い受けたことが認められる。したがって、原告が堀内が処分権限を有しないことについて悪意であったとの被告の右主張は理由がない。

また、前記のとおり、本件ガスライターは、訴外会社ブロニカのブロニカ・ガスライターの商標、意匠を用いていたのであるから、原告は、右取引にあたって、これがブロニカの商標権ないし意匠権を侵害するものであることは容易に知りえたはずである。しかし、右認定のような取引の際の事情に加えて、前記(一)認定のとおり、右ガスライターの製作は、朝日製作所および富士産業株式会社が会社ぐるみで大々的に行なったものであること、≪証拠省略≫によれば、朝日製作所がこのように訴外会社ブロニカの商標権、意匠権を侵害し、下請契約に違背したことが明らかになり、訴外会社ブロニカからその非を責められるや、朝日製作所代表者は、訴外会社ブロニカとの間に、その部品提供数量に対する完成品提供数量を九五パーセントとし、五パーセント以内の目減率を認め、その目減率以内で組立工程中に発生した不良廃棄部品および製品屑一切は朝日製作所の所得となり、返還義務を負わない旨口頭の特約が存し、かつ本件ライター組立部分のように、棚おろしの際、帳簿に記載されなかったものは、全部廃棄品として処理されたものであると強調し、そのような主張に基づいて昭和三九年二月二七日訴外会社ブロニカに対し、廃棄物件返還義務不存在確認の訴を甲府地方裁判所に提起したこと、≪証拠省略≫によると、訴外堀内要七、同大塚喜造に対する窃盗被疑事件の被疑事実は、両名が共謀して朝日製作所の倉庫から本件ガスライターの部品を窃取したというものであったが、豊島区検察庁副検事高柳吉二は、両名を不起訴とする際、同人らが、右部品を持ち出したことは認めながらも、右部品は、朝日製作所において、組立製造の過程において生じた不良品または員数外のもので、廃棄処分に付するため倉庫に保管していたものであり、堀内は、朝日製作所に勤務中、資材係から不良品だから適当に処分されたい旨の言質を与えられ、その処分を許されていたものであるから不法領得の意思がなく、犯罪の嫌疑がないとの理由で不起訴処分とし、また原告の賍物故買被疑事件については原告が賍物たるの情を知っていたことの証明がないのみならず、本犯たる堀内らの右窃盗が、目的物が廃棄処分を許されていたもので不成立であるから本件ライターは賍物たる性質を有せず、原告の買受の行為は罪とならないとの理由で不起訴処分に付したことをあわせ考えると、原告が、本件取引に際し、本件ガスライターについて、商標権、意匠権の侵害をともなうものであることはともかくとして、その所有権そのものは朝日製作所に属し、堀内がその処分権限を有するものと誤信したことにも必ずしも無理からぬ点があるといわなければならない。本件の全証拠によってもいまだ原告に、この点の過失があったことを認めるには足りない。したがって、この点についての被告の主張は理由がない。

また、被告は、原告の堀内との取引は公然のものでないと主張するが本件の全証拠によってもいまだこれを公然のものでないと認めることができないから右主張も理由がない。

(三)  結局、本件ガスライター二、〇〇四個は、民法一九二条により、原告がその所有権を取得したものというべきである。

三、つぎに、本件ガスライターに対する検察官の処置について検討する。

豊島区検察庁副検事高柳吉二が、訴外堀内、同大塚の窃盗被疑事件について不起訴処分をした際、各不起訴裁定書の証拠品欄に本件ガスライターについて「仮還付のまま本還付」との記載をし、同庁証拠品係検察事務官が、これに基づいて、昭和三九年四月三日、本件ガスライター中五個分の仮還付請書に還付通知の年月日および通知した旨を記載したこと、同年五月一二日、甲府地方検察庁から右検察庁に対し、右不起訴記録の借用方の依頼があり、同月一四日、右記録が、記録中の右各記載を抹消しないまま、同地方検察庁に送付されたことは当事者間に争いがない。

還付処分も、国民に対する行政処分の一種である以上、これが受還付者に対して、告知されてはじめて成立し、効力を生ずるものであることはいうまでもないが、≪証拠省略≫によると、証拠品事務規定(昭和二八年六月一日法務省刑事局秘第一二九号訓令)五九条二、三項は仮還付した証拠品の本還付の手続について、仮還付人に対し本還付通知を送付してすべきことおよび右通知をしたときは、証拠品係事務官は、その年月日および通知した旨を事件記録の仮還付請書に記載すべきことと定めていることが認められる。そして、≪証拠省略≫によれば、本件ライター五個分の仮還付請書の右記載は、証拠品係事務官が右本還付通知事務を行なうための内部的な準備行為として予定の趣旨で記載したものであるが、事務繁忙のため、本還付通知書を送付しないでいるうちに甲府地方検察庁からの依頼によって記録を送付したため、訴外会社ブロニカに対する本還付通知書の送付は、そのままついになされなかったこと、昭和四〇年二月、右記録は、甲府地方検察庁から豊島区検察庁に返還されたが、そのころ原告の代理人の弁護士から高柳副検事に対し、本件ガスライター二、〇〇四個の還付の要求があり、またこれが新聞に報道されたりしたため、同副検事は、本件ガスライターの処置について再度検討した結果、これを被押収者たる原告に還付することが妥当であると考え、同年三月二四日付で訴外会社ブロニカに対し、右ガスライター二、〇〇四個の提出を命じたところ、同会社から右ガスライターはすでに廃棄処分に付した旨の回答のあったことが認められる。してみると、本件ガスライターの本還付処分はいまだ不存在というべきである。証人横溝弘明の証言中、甲府地方検察庁検事山同譲次から本件ガスライターは、本還付になっている旨回答されたとの供述部分は、証人山同譲次の証言と対比してたやすく採用できないし、甲第二、五号証中には右本還付処分が存したかのような部分が存するが、いずれも、右認定の事実と対比すると右不起訴記録中の不起訴裁定書証拠品欄の記載および前記仮還付請書の記載に基づいて本還付処分がすでになされたかのように誤信したことによるものと認められるから本還付処分がなされたことの証拠とすることはできないといわなければならない。

四、ところで本件ガスライター二、〇〇四個が、昭和三九年九月二二日から同年一〇月一〇日までの間に訴外会社ブロニカにおいて解体、廃棄されたことは前記のとおりであるから、原告は、これによってその所有権を侵害されたことが明らかである。

被告は、本件ガスライターは、商標権者である訴外会社ブロニカから廃棄を求められるべきものであったから原告に損害は生じていないと主張するが、たとえ商標権侵害の組成物件であるとしても、これを失えば損害が生ずることは当然であり、原告は右解体、廃棄処分により少なくともその取得価格の範囲内である一、〇〇二、〇〇〇円(一個五〇〇円)相当の損害を蒙ったことが明らかである。

五、そして、本件のように検察官が、被疑事件について不起訴処分を行なった場合の押収物の処置について、原告は刑事訴訟法三四七条が準用されると主張するが、同法二二二条一項は同法一二三条、一二四条のみを準用し、同法三四六条、三四七条を準用していないし、判決がなされれば、その押収物についての留置の必要が全く消滅する終局裁判の場合と捜査手続における押収物の扱いを同様に考えることはその性質上妥当でない。したがって、訴外堀内、同大塚に対する不起訴処分と同時に、当然本件ガスライターが本還付となり、あるいはその押収が解かれたものと解することはできない。

しかし、捜査のための押収が、私人の財産権の重大な制限であることは明らかであるから、その押収は必要最小限度に止めなければならないのは当然であり、押収の必要が消滅した場合には、できるだけ速やかに押収を解くべきであることはいうまでもない。

本件の場合豊島区検察庁の担当検察官高柳吉二は、昭和三九年三月三〇日本犯たる窃盗について嫌疑なしの不起訴処分を行なうとともに、同日、原告の物故買についても、罪とならずの不起訴としたのであるから、これをもって同検察庁における本件ライター関係の被疑事件の捜査はすべて終了したのであり、右各不起訴処分後も、本件ライターの押収を継続すべき捜査上の必要はもはや存しなかったというべきである。これは、同検察官が、不起訴裁定の際、本件ガスライター二、〇〇四個の処置について、「仮還付のまま本還付」との裁定をしたことによっても明らかである。もっとも、≪証拠省略≫によると、昭和三九年五月初旬ごろ、訴外会社ブロニカから朝日製作所代表者大塚富栄らに対する商標法違反の告訴が甲府地方検察庁になされ、同地方検察庁において、前記不起訴記録を必要としたのは、その捜査のためであることがうかがえるが、右告訴は不起訴処分後になされたものであり、これによって、右不起訴処分時における本件ガスライターの押収継続の要否についての右判断に何ら消長をきたすものではないというべきである。

しかも、検察官は、元来民事上の権利関係について積極的に判断を行なって押収物の処理を決すべきではなく、検察官が押収物を、被押収者でなく、被害者に還付できるのは、刑事訴訟法二二二条一項、一二四条によって明らかなとおり押収物が「物」であり、「被害者に還付すべき理由が明らかなときに限」られるのである。

本件において、検察官は、前記のとおり、窃盗被疑事件についても、物故買被疑事件についても、「嫌疑なし」および「罪とならず」と認めたのであるから、本件ガスライターについてそれが「物」であり、かつ「被害者に還付すべき理由が明らか」であるとはとうていいえなかったことが明らかであり、検察官としては、当然これを被押収者である原告に還付すべきであったといわなければならない。

したがって、検察官高柳吉二は前記のような各不起訴処分と同時か、少なくとも、その直後、速やかに、本件ガスライターを原告に還付すべく適切な措置を講ずべきであったというべきであるが、不起訴の裁定の際、誤ってこれを訴外会社ブロニカに被害者還付すべき旨裁定したのみならず、その後も右解体、廃棄処分がなされるまで約六ヵ月の間何ら原告に還付すべく適切な措置をとらなかったものであったこの点過失の責めをまぬがれないというべきである。

六、したがって、原告の蒙った右損害は、公権力の行使にあたる検察官高柳吉二の職務を行なうについての右過失に基づくものというべきであり、被告に対し右損害一、〇〇二、〇〇〇円の賠償およびこれに対する損害発生の日の後である昭和四一年八月四日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める原告の請求は理由がある。

よって、原告の請求を認容し、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

なお、仮執行の宣言の申立は相当でないからこれを却下する。

(裁判官 菊地信男)

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